平成29年9月議会村田議員に対する答弁

 自民党議員会会長の村田昭議員から、身に余る言葉をいただき、恐縮しております。議員とは平成10年の町議会議員選挙初当選の同期でもあり、様々な局面で叱咤激励をいただいてきました。このたびの質問は、私の進退に関するもの1点だけですので、答弁は少々、長くなりますが、ご容赦いただきたいと思います。

質問の1番目は、3期目の自己評価についてであります。
平成26年、西暦2014年の町長選挙に向けて作成した、後援会の討議資料「立山のちからこぶ2014」には、「団塊の世代の皆さんが75才を迎える2025年頃から、本格的な超高齢社会に突入し、医療や介護の費用が増大する。これに照準を合わせ、その他の行政サービスの効率化を図る」と書きました。なお、当選後の2014年9月には、これを補足する形で町職員向けに「町長方針2014」を作成し、公表したところでございます。

まず、公約の1番目、「責任ある町政」として、「高齢化により増大し続ける社会保障の財源を確保するために、役所をスリム化するとして、民間委託により職員数を4年間で20名削減する」としましたが、諸般の事情により想定以上の26名が減り、総数は237名となりました。これで2006年に町長に就任以来、職員を58名削減したことになりますが、実は、これでも全国の類似団体の平均と比べて33名も多く、これが、町財政を圧迫している要因のひとつになっています。

次に、「地鉄立山線を残すことにあらゆる施策を集中させる。具体策として、各駅に自転車置き場や岩峅寺駅駐車場スペースの拡大、車両整備負担」などと書きましたが、北陸新幹線の開業による個人旅行客とインバウンド、海外からの旅行客の増加により、お陰様で、特に「雪の大谷」のシーズンにおいて乗降客数が増加しております。
さらに、関西方面からのツアーバスの旅行客が、昨年までは、町商工交流館「やすんでかれや」に立ち寄った後、五百石駅から立山駅まで電車に乗り、アルペンルートに入るというツアーがありました。今年はその「やすんでかれや」はありませんが、五百石駅で電車に乗り換えるツアーは、今年だけでも31回開催される予定です。本日も約120名の観光客が五百石駅から乗車されるので、町内の菓子店等や越中すえ太鼓でお迎えすることになっています。来年度は、立山ブランド認定品をはじめ特産品を揃えたまちなかファームが完成するので、こちらにもお立ち寄りいただけるものと期待しています。
このように、年間を通じて、観光客に乗車してもらえるよう、知恵を絞り、町の背骨と言える地鉄立山線の維持活性化を図ってまいります。
また、「地籍調査を2025年までに五百石地区を完了」と書きましたが、地元、村田議員はじめ地域の皆様のご協力により、順調に進んでおり、来年度以降も国の予算がつけば、早くて2020年度中に完了する見込みであります。これにより、相続をはじめ、土地が動き、地域の活性化が期待できます。境界確認など職員には苦労をかけていますが、大事な仕事であるので、引き続き、国の予算確保に努めてまいります。

公約の2番目には、「選ばれるまちとして、学校教育環境と基礎学力は県内トップクラスを目指す」としました。議員もお気づきの通り、立山町の学校教育環境は県内トップクラスであると自負しております。また、長年の懸案でありました武道館の改築につきましても、国の有利な交付金を活用することができ、当時、恐らく全国のどの自治体よりも少ない町負担割合で建設できたのではないかと思っております。地元雄山高校の弓道部は全国大会出場レベルの強豪校でありますが、これを機に雄山中学校にも弓道部ができたことも、嬉しく思っております。

学力に関しては、立山町教育委員会では、わが町に中学校が1校しかないという理由で、全国学力テストの詳細な結果を公表しておりませんが、3月定例会の村田議員の質問に教育長が答弁した通り、小学校においては、私の手元にある資料では、平成24年以降、全教科において、常に県内平均を大きく上回っておりまして、教育長をはじめ、現場の先生方に感謝しております。
その他、子育て支援としての、医療費助成や路肩のカラー舗装化については公約通り進めておりますが、道路舗装などの整備は、残念ながら、財政上、地域の要望に追いついておりません。

公約の3番目 「未来に投資し、まちの力を高め、社会保障を持続させる」として、まず、農業については担い手の農地集積や水利などの基盤整備を挙げており、順調に進めてきました。但し、農産品のブランド化や6次産業化については、所得の向上にまでは至っておりません。現在、立山町全体のイメージアップにつながるような6次産業化への投資計画が民間レベルで進められており、町としても支援していきたいと考えております。

そして、「企業を誘致し、税収確保を図る」については、今議会でも補正予算案の提案に固定資産税収入の増額補正1億円を計上としているところであり、これで平成11年度以来、18年ぶりの16億円を超える固定資産税収入を見込めることになりました。
しかし、それにもかかわらず、財政の硬直化を示す経常収支比率は、平成28年度決算においては、91.6%となっています。つまり、お金、予算を町の裁量で動かすことができる余力は、8.4%しかないことになります。これは、県内5町村の中で最も財政が硬直化しているという厳しい数値でありまして、引き続き、企業誘致と行財政改革に取り組んでいかねばならないことをこの数値が示しています。

それでは、厳しい立山町の財政状況の中で、これまでどうやって公共投資、ハード事業を実施してきたのかでありますが、1期目から2期目にかけては、平成20年、2008年のリーマンショックを受けての、国の度重なる景気対策に素早く対応してきたこと。3期目は、環境省のエネルギー特別会計予算を原資とする補助金、例えば、省エネ効果の高い空調設備やLED照明に更新する事業の補助金を獲得できたことが大きいと思います。これらは、ハード、ソフト両事業に共通することですが、私は全国中山間地域振興対策協議会や全国観光地所在町村協議会などの役員会や要望活動のため上京する機会を利用して、予算に関する情報収集ができたこと、そして、何よりも、補助採択を受けるための申請書の作文、町職員の頑張りのおかげであります。

質問の2番目 来年1月の町長選挙。私にとりましては、4期目に挑戦するかどうかについてお答えします。
正直に申し上げると、4年前、3期目をどうするかについて、2013年の秋に、私の政治の師であり、仲人親でもある、河野洋平元衆議院議長に相談したところ、「首長はあまり長くやるのはよろしくない」と、私と考えが一致し、「よし、これが最後だ」と思って、この4年間、全力で仕事をしてきました。

但し、気がかりなのは、町職員の年齡構成であります。昭和42年よりも早く生まれた事務系職員が極端に少ないのです。一時期、職員採用がなかったのではないかと思います。
行政の仕事は、住民票の発行だけでなく、町の歴史を知らなくては前に進めない仕事もたくさんあります。災害時もそうです。実際に体験した者とマニュアルを読んだだけの者では、その対応力に雲泥の差があると思います。
私は、平成10年、1998年の豪雨災害を町議会議員として、町の対応を見ておりましたが、平成10年以前に採用された職員が少ないことに、町長になって初めて気が付きました。そのため、総務課長、水道課長と議会事務局長の3人には、定年後も、この庁舎内に残って働いてもらっているのです。

この春、副町長を退任された舟崎邦雄さんは、私が平成18年、2006年2月に立山町長になり、4月に県から派遣されて以来、11年の長きにわたり、私の片腕として、町政運営を担ってくれていました。この間、私の知っている限りの町の歴史も説明してきました。しかし、このままでは任期満了日は、私とほぼ同時期になります。私が来年の選挙に出馬するとしても、当選するかわかりません。来年の春、町長と副町長、ふたりとも同時にいなくなってしまうことは、町にとっては良いことではないと考え、1年前から舟崎さんと相談の上、県に新たな副町長派遣を依頼し、舟崎副町長の任期がまだ1年残っていましたが、先にやめていただいたのです。朝倉副町長におかれては、例え、私や数少ないベテランの職員がいなくなっても、町政が滞らないように、町の歴史を学んでほしいと思っています。

私は、人間としては未熟だと自覚しています。230名を超える町職員のリーダーとしては、合格点には至らないと、就任当初から思ってきました。「町職員は町長を選ぶことができない」と、匿名のお手紙をいただいたこともあります。それでも、仕事を続けてこられたのは、町職員、議会議員、各種ボランティアをはじめとする町・地域のために頑張っておられる方々、そして、私の支援者、家族のお陰だったと感謝しております。

政治を志す者のバイブルと言われる本に、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの「職業としての政治」があります。学生のとき、何度も読み返しました。この中で、「政治とは情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業である」とあります。物事の判断は、情報が集まらなければできません。つまり、政治家、首長にとって重要なのは、情熱と情報です。情報、言い換えれば、経験だと思います。
今の日本は、今さえ、あるいは、自分さえ良ければ、あとは知らないという声に押されて、ポピュリズムに支配されつつあります。私は子供の世代に過度な負担を残さないようにと、行政コスト削減に繋がるような投資を求めて、霞が関を駆けずり回り、あるいは、「銭湯を町で作れ、さもなければ、…」という脅迫めいた匿名の手紙にも耐えてきました。

おかげさまで、熱心な町長さんだからと支援してくれてきた国の官僚、私が誘致に関わった企業の経営者には、個人的に親しくなった方もおられます。その方々の紹介で、新たな国の担当職員、あるいは、新たな企業を紹介していただいたという例もあります。
そして、平成元年に国会議員の秘書となり、平成10年からの町議会議員時代、さまざまな経験が私の財産です。私に情熱がある限り、この経験が立山町にとって役に立てると思っております。

超高齢社会の進行により、介護や医療などの町としての義務的な負担が増えていきます。その財源を確保するためには、企業誘致による増収だけでは追いつきません。行政のスリム化を図るということは、ある方にとっては、不満が出てくることもありましょう。しかし、迫りくる厳しい時代にあっても、本当に困っている人を助けるための財源と人材を確保するために、こうした改革を断行できるのは、1期目は助走期間という新人ではなく、私のような行政経験者であること。そして、自分の政治判断が、10年後、20年後の町や私たちの世代の老後にどう影響したか、あるいは、子供世代にどう影響したのかを、恐らく、そのとき生きている、この目で見てしまうことに覚悟がある者、つまり、まだ52才の自分が適任だろうという考えに至りました。

新たな企業の進出が見込まれています。さらに、立山町の特性を生かして、高い付加価値を創出し、農業と地域に新たな希望、輝きをもたらす投資計画もあり、これを支援したいと思います。地味ですが、公共施設等マネジメント計画やその他の行政改革の実行など、引き続き、身の丈にあった行政にするための仕事に取り組みたいと考えています。

現在、特に難しいと思っている課題をひとつあげるならば、車を運転できない、高齢者のみの世帯が増えていることです。コミュニティーバスの路線を増やしてほしいといった要望がありますが、地鉄の電車やバス、タクシー業者などの民業圧迫となり、難しい判断が求められます。仮に国の認可を得られるとしても、いまでも、年間2000万円を超える財政負担の増加に加え、大型2種の免許を持つ運転手を確保できるか不透明です。されど、買い物など、本当に困っている人がおられる。そうした方々を見捨てるわけにはいかない。そこで、持続可能なソーシャルビジネスを構築、支援を検討しているところです。

その他の政策課題については、別の機会で表明しますが、おまえに任せると、有権者の多数の支持をいただけるならば、もうしばらく、働かせていただきたいと申し上げ、答弁とさせていただきます。